1.綾門大綱(あいじょううーんな)曳きとは?
琉球王朝時代、琉球国王の即位(引継ぎ)を祝い、国の繁栄と五穀豊穣を願う由緒ある大綱曳きです。首里城城下町の人々たちは、新国王即位により平和を喜び、楽しみ、首里人(スインチュ)の一致団結心・志気向上の綱として受け継ぎ、新国王即位のたびにお祝いの大綱を曳いてきました。 1898年(明治31年)を最後に途絶えましたが、今回109年ぶりに復活した2007年は、首里城公園の開園15周年記念にあたる記念として開催され、多くの観衆が伝統ある綾門大綱を曳きながら、1世紀に1度のイベントに酔いしれました。
2.イベントデータ
【開催日時】 2007年10月27日(土曜日) 【開催地】 綾門大通り(那覇市首里高校裏通り)
【問合せ】 綾門大綱曳き実行委員会 TEL:098-886-8615 【アクセス】 那覇空港から車で約30分
3.プログラム
[18:00] 首里地区の8つの字による旗頭演舞
[18:35] 路次楽
[19:35] 綱寄せ
[19:45] 支度
[19:55] 綱曳き初回
[20:05] 勝方 旗頭演舞
[20:15] 綱曳き収め
[20:30] 勝方 旗頭演舞・アッチャメー

4.綾門大綱(あいじょううーんな)曳きのあれこれ
初めて綾門大綱曳きを見た!
現在の沖縄県内各地の綱挽きとは違い、かがり火やたいまつを焚き必ず夜に開催されること、勝負を2回行うが不思議な事に必ず引分けること、そしてなんといっても各50〜60mの長さをもつ4本の大綱を3本の頭貫棒(カヌチ棒)でつなぎ合わせて挽きあうのが特長です。
また、立ち入り制限地域内で業者が制作する那覇大綱挽とは違い、県内各地の綱曳きが行われた8つの自治会の大綱をそのままの状態でもらい、多くのボランティアの参加を募り地域の人々・各自治会の協力や指導を受けながら、ほどいた綱を再度編みなおして制作したそうです。
制作期間は2007年8月〜10月の毎週日曜日に行われ、109年前の大綱に少しでも近づけようと、試行錯誤を繰り返しながらの“住民手作りの大綱”とも言えるのでは。
必ず夜に開催
古来、沖縄の綱曳きは夜に行うことが多く、電気もない時代に周辺にかがり火やたいまつを焚き、また各村の象徴である旗頭のてっぺんに灯篭を灯し周辺を明るくして勝負を行うことが多かった。その名残として、首里地区各村の旗頭のてっぺんには現在でも灯篭を灯す位置があります。
109年ぶりに開催されたこの大綱曳きでも、かがり火4基、たいまつ40本を灯して開催されていました。
不思議!必ず1勝1敗の引き分け
109年前を最後に途絶えた綾門大綱曳き。その当時の琉球新報にも2回対戦して1勝1敗の引分け。それ以前の国王即位の度に行われた全ての勝負も、復活した2007年も2回対戦し1勝1敗の引分けに終わりました。これも“武器を持たず、平和を喜び、楽しむ”という、古代から続く綾門大綱曳きの想いがあるのかも。
引き分けの様子の動画こちら
来年も開催するの?
109年ぶりに開催するに当たって、当時の綱曳きを知る人は全くいませんでした。その為、2005年より復興運動を始め、当時の新聞を中心に年配の方や資料収集、見聞調査などの3年の歳月と開園15周年の節目を迎える首里城公園の発展を祝う行事として復興しました。関係者によると、今後は10年周期で開催する予定を考えているものの、綾門大綱曳きや首里に関するきっかけ事がない限り、一世一代の行事にとどめるとの考えもあるそうです。そうなると次回開催は、109年後の2116年開催かも!?

ちゃんぷる〜のちょっとディープな沖縄
ちゃんぷるー
2007年は、当時を再現するとの事で「たいまつ」や「かがり火」を灯して行われたのですが、飛び散った火の粉で洋服が焼けた人もいました。聞くところによると、真っ暗闇での綱曳きをしていた昔の人々は、木綿の服を身にまとい、火の粉で服が焼けるのを防ぎ、綱を曳いていたとの事です。
たいまつを使って当時を再現
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