ひめゆりの塔
ひめゆり学徒隊と名前の由来
ひめゆりについて
太平洋戦争末期、1945年(昭和20年)3月23日に米軍の沖縄上陸作戦が開始された。沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校から、生徒222名、教師18名が那覇市の南東5キロにある南風原(はえばる)の沖縄陸軍病院に動員され、そして、そのうち136名が戦場で命を落とした。「ひめゆり」とは、2つの学校にあった校友会誌「乙姫」と「白百合」を合わせて名づけたものであり、両校から動員された生徒・教師たちを戦後、「ひめゆり学徒隊」と呼ぶようになった。
ひめゆりの塔
ひめゆりの塔
現在、「ひめゆりの塔」が建っているガマは、陸軍病院第三外科が撤退後に入っていた壕で、「伊原第三外科壕」と呼ばれている。ここには、ひめゆり学徒を含む陸軍病院関係者、通信兵、住民などおよそ100名がいた。解散命令後の6月19日早朝、米軍のガス弾攻撃を受け、80名余りが亡くなり、3月の動員から解散命令を受けるまでの約90日間のひめゆり学徒の犠牲者は19名であるのに対して、解散命令後のわずか数日で100名余りが亡くなった。
沖縄戦の真実
投降を許さず『捕虜になる男子は殺される、女子は辱めを受けるその前に自決せよ』という当時の教育が目には見えない恐ろしい力となり、この沖縄戦で犠牲になった何の罪のない子供たちや沖縄住民12万余りもの人を巻き込む結果となった。その当時、ひめゆり学徒隊生存者の多くは、亡くなった学友や遺族に対する痛恨の思いから、戦争体験を語ることはほとんどなかったと言う。ひめゆりの塔をテーマとした映画などの作品はいくつかあるが、いずれも一部脚色されており、事実を正確に伝えているものではない。
ひめゆり平和祈念資料館
ひめゆり平和祈念資料館入口
ひめゆり学徒隊に関する資料を保管・展示し、戦争の悲惨さを後生に伝えるための資料館を建設しようと、財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会は、資料館建設期成会を設置した。そして、1989年6月23日に開館した。館内には、南風原陸軍病壕の一部を再現した原寸大模型があり、ひめゆり学徒隊の足跡などを知ることができる。以前は、ひめゆり学徒隊生存者の証言を聴くことができたが、生存者の高齢化により、2004年4月のリニューアル以後は証言映像の上映に切り替えられ、映像証言・展示リニューアル・後継者育成の3つを視野に入れた「次世代プロジェクト」がスタートした。沖縄戦記録フィルム1フィート運動(※注参照)により入手した記録映像も流している。
※注:沖縄戦記録フィルム1フィート運動アメリカの国立公文書館にある、アメリカが記録した沖縄戦の記録フィルムを1フィート100円で買い取る運動。リニューアル当時までに入手した映像は1割強、入手のための運動は今も続いている。
平和への思いを込めて
平和祈念資料館の中庭
資料館の建物は、当時の女師・一高女を模して作られ、美しい中庭は、戦場で尊い命を失った少女たちの御霊に捧げられてる。 この美しい海に囲まれた沖縄で60年前に悲惨な戦争がおこっていたという事を沖縄県民・全世界の私たちは忘れてはいけない。
お問い合わせ
名称
ひめゆり平和祈念資料館
所在地
〒901-0344 沖縄県糸満市字伊原671-1
TEL
098-997-2100
HPアドレス
駐車場
あり(無料)
開館時間
午前09:00〜午後5:00(年中無休)
入館料
【大人】 300円  【高校生】 200円  【小・中学生】 100円
※6月23日(慰霊の日)は入館料が無料になります。
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